明治二十六年の創業以来、百有余年…中山道五十一次の太田宿は、飛騨、木曽両川の合流点直下の木曽川畔に位置し、中山道の三大難所「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と馬子唄にもある急流・太田の渡しのあった宿場で、現在も太田宿の面影を色濃く残す一角に、御代桜醸造はあります。中山道御料林のいかだ乗りや街道を行き交う数多くの人々に『天の美禄、百薬の長』として愛され親しまれてきた清酒、御代櫻。「加茂神社の東南の泉田という所に清冽な清水が湧き出ていた」、「大化の改新より前、鴨の里の県主の一族が水取りの伴に選ばれて、大和朝廷に水を奉っていた」という古伝の史実もみられるなど、水の清冽な岐阜美濃加茂は、酒造に絶好な気候風土を具備した適地といえるでしょう。
銘柄の『御代櫻(みよざくら)』は、日本古来から花といえば桜であり、日本人が愛してきた桜の花の五弁花を、日本酒の『甘・辛・酸・苦・渋』の五味五感の調和
の象徴として、また十弁花は八重咲きの桜であり、酒の十徳を表すものとして酒造に携わる幸せを桜に託し、日本民族の未来永劫の弥栄を祈念して命名されました。
先代蔵元達は、敢然として製造、販売の第一線で陣頭指揮を執り、万難を排して確固たる基盤を着々と築いてきました。良質の原料米を求めて自ら播州(現兵庫県)の心白米の産地にも出向いていき、設備面では、「暴れ川」とも称される木曽川の水害に備えて土盛りをして酒蔵を建て、釜場、麹室、酒母室等を二階に設けるなどし、美酒醸造の為に試行錯誤を繰り返しています。中でも三代目・渡辺栄三郎蔵元は、酒質の向上に全精力を注ぎ品質を大幅に高めただけでなく、清酒業界その他にも多大な貢献をし、紺綬褒章、黄綬褒章や勲四等瑞宝章を授かり、昭和六十二年十月に九十三歳の天寿を全うしました。先代の五代目・渡辺直由蔵元は潤いのある生活の中で酒を楽しむ今の時代、米との出会いから始まる造り手・売り手・飲み手の触れ合う心を大切にした、品質一筋の「飲み飽きせずいつまでも記憶に残る」高品質酒を実現すべく、美濃人の人情豊かな心の通う繊細・細心の酒造りを終始一貫して目指し邁進してまいりました。そして平成十七年九月から、地域の発展に貢献したいとの強い意志により、地元である美濃加茂市の市長として奮闘する毎日を送っております。急遽、当時若干二十九歳にして襷を受け取る形で就任した現六代目蔵元・渡辺博栄(わたなべ ひろえ)蔵元は、消費が低迷する日本酒業界の中、「再創業」を掲げ、今まさに力強く羽ばたこうと、その瞳は不退転の決意に満ち溢れ輝きを放っています。
平成十二年、御代桜醸造は酒造業界の将来を展望して従来の季節赴任杜氏制度を廃止しました。すなわち、但馬杜氏の下で腕を磨いた、地元出身の技術社員・酒向博昭(当時二十六歳)を杜氏に抜擢したのです。バイオテクノロジー専攻の現在三十六歳、新進気鋭の酒向は、勤続四十七年の早川進勝常務取締役工場長のバックアップを得て、和と個性を重んじて奮励努力し、杜氏就任三年目の平成十五年度全国新酒鑑評会で当時二十八才という若さにも関わらず、見事に金賞受賞を果たしました。更に、続く平成十六年全国新酒鑑評会においても、岐阜県下唯一となる二年連続金賞受賞の栄冠に輝いております。冷静な科学の目と若き情熱が一体となり、原点を見据えた手作り回帰という基本に忠実な酒造りを目指し、未来を指向した個性ある美酒醸造に一心不乱に心魂を傾ける毎日を送っています。
水は木曽川の伏流水、米は磨き抜かれた酒米を使い、悠々たる木曽川を臨む美濃の地で、高度な醸造技術と昔ながらの伝統的な手造りの基本を併せて丹精込めて醸し出される弊社の酒は、芳醇な香りとコクを持ちながら飲み飽きない淡麗な酒というお客様の評価をいただいております。
酒造りの神髄とは何なのか。百有余年の歳月をかけて探し求めてきた私たちにも未だにその答えは見つかっていません。答えを追い求める私たちの挑戦は、果てしなく続きます。