
28/03/2025
【フランス語の先生から ワインご教授いただきました】
わたし昨年5月 現地訪問いたしました メヌトゥ・サロン (Menetou-Salon) 村。
このたび 大変うれしい情報をいただきました。
当店の大切なお客さまのおひとり 仏文学の教授さまであられるお客さまから メヌトゥ・サロン (Menetou-Salon) の名前の由来の歴史 を調べてくださり ご教授いただいてしまいました。
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(以下原文 仏文学の教授さまより ご教授いただいた内容)
それで、メヌトゥ・サロンのことですが、
たとえばフランス語のウィキペディアを見ますと、まずおもしろいのは、発音記号をわざわざ載せています。
これ英語のウィキだとよくあるのですが、フランス語では、、、見るの初めてかもしれません。
歴史を確認しますと、サロンのほうが先だったようです。
11世紀後半に、小さな修道院があったらしいのですが、その表記が、monasterium sarlonis または monastellum salonis だったそうで、すでに初めから、サロンとサルロンで揺れていることがわかります。
ただ、この土地の領主は Sarlon で間違いなく、その領地は Ménetou et Quantilly とされています。
アクサン有です。
次に、1097年に、メヌトゥの領主、サルロン・ル・リッシュ(裕福なサルロン)が十字軍への参加を思い立ち、 l’église Saint-Pierre de Ménetou という(おそらく)小さな教会を、当地の大修道院に寄進したらしいです。
とにかく、まだアクサン有です。
それが「アクサン無」になるのは、1190年、ユーグ・ド・ヴェーヴルが、Menetou の領主として近隣の別の大修道院に土地を寄進したときです。
で、これ以降ずっと、アクサン無なんです。
このおよそ一世紀の間に、表記の習慣が変わったと見えますが、でもどうして?
現状わかりません。
フランス人も土地の由来にうるさいですから、わかっていれば説明があるはず。
替わったらしき領主の独断で、でしょうかね。。。
(以上 ご教授いただいた原文)
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Ménetou から Menetou-Salon へ。
(アクサン有からアクサン無へ)
猛烈に勉強になります。面白いですね。
第1回十字軍の頃ですね。
そして12世紀へ。
わたしも歴史好き 地理好きですので、
そして メヌトゥ・サロン村って ブールジュ (Bourges) から北東へすぐ 車で15分の距離なんです、
この12世紀頃って ブールジュあたりって 当時まだ巨大な敵だった ブロワ伯領っぽいですよね?
ところが わたしも あたらめてじっくり勉強し直しました、
ウィキペディアで 12世紀中ころのフランス勢力図の地図を見ると なんと ブールジュって 飛び地で カペー朝の直轄領になっているじゃないですか!
オルレアン (Orléans)から飛び地になっているじゃないですか!
つまり Ménetou から Menetou-Salon へ 呼び方を変えた 12世紀後半には、メヌトゥ村は カペー朝の直轄になっていたということじゃないですか!
カペー朝もこの頃からじわじわ逆転劇きてますね。
もう たまらなく面白いですね。
(わたしだけか)
ワインを勉強するって 猛烈に楽しいですね。
ワイン専門店 セリエ・デ・ルルソン
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